川で 3

O氏は少し顔をあげて、工員たちの後ろ姿に眼をやった。
「橙、赤、紫、水色、黄緑。なんだ、まだ1年目の小僧ばかりだ。」
O氏は色工場で13歳の時から36年働いた。
O氏の左手の中指は、光の角度で色の変わる不思議な藍色がかった銀色に染まっていた。
そして、夜になると左中指は透明になった。
30年以上、色工場で働いた人間はだいたい同じ様な指を持っているはずだが、色工場では、普通の人間はそんなに長くは勤めることはない。
1人の人間が持って生まれた色の分量はせいぜい3〜5色程度だ。優秀な人間でさえ12色程度だ。それも各色が半年ほどで白く濁るか黒く濁る。
濁ってしまえば色工場では使い物にならないので、だいたいの人間は数年勤務して、それなりの退職金をもらい工場を去る。そして、その程度ならば半年ほどで指の先の色も抜ける。
30年以上も工場に勤めることのできた人間は3人だけである。O氏とO氏の兄、もう1人は兄の妻になった女性サエだ。
当時のサエは “プリズムさん”とあだ名されるほど、様々な色を作り出すことが出来た。
(つづく)