《パノラマとパラレルワールド-2》

 《パノラマとパラレルワールド-2》

 まさみの知ってるS子は、まさみが本当だと言うことを、絶対に笑い飛ばしたりしない。まさみのことを、〈まさみ〉と呼び捨てにしない。足がガクガク震えた。
でも、何とか、あのS子に状況を理解してもらわないと、どうにもならないのだわ。まさみは、ヨシッと強めに顔を叩いて気合を入れ、自分も部屋を出て階段を降りた。
 食堂は、ジャスミンみたいな良い香りがした。青いテーブルクロスの掛けてある広い食卓の上には、クロワッサンやベーグル、サラダに、ベーコンにソーセージ、スクランブルエッグにクラムチャウダーにフルーツポンチ、それにガラスの花瓶にはピンクの薔薇の花・・・。
「コーヒーと紅茶と、どっちが良い?」とキッチンのカウンター越しからS子が微笑んでいる。
まさみは心の中で『何なの、この「有閑クラブ」のような世界は。』と思いながら、「コーヒー」と答えた。「OK〜、多分そうだと思って、実はコーヒーしか入れてないの」とS子はニコニコしている。まさみの知ってるS子は、朝は牛乳しか飲まないし、人に朝ご飯を作ったとしても、横文字のbreakfastではなく、ご飯に味噌汁に納豆と出し巻き卵の縦書きの朝飯だった。
 「何、ぼんやり立ってるの? コーヒーにミルク入れる?」と聞きながら、S子は椅子に座った。まさみも、席につきコーヒーを一口飲んだ。おいしかった。
「あのさ、真面目に聞いてもらいたいんだけど」とソーセージを突き刺したフォークを右手に握り締め、まさみはS子に話しかけた。「いったい、そんな顔してどうしたのよ」と銀のフォークでサラダを食べながらS子は言った。「あのね、私、本当に記憶がないの」S子は危うくサラダを吹きそうになりながら「わかった、わかってるわ、お姫様」とニヤニヤしている。全く本気にしてもらえない・・・。「本当なんだってば・・・」ツーとまさみの右目から涙がこぼれた。それを見てS子は「だから、今、泣かなきゃならないほど、困ってる?」と言った。「えっ、だって、記憶がないのよ」と今度はポロポロと左眼から涙がこぼれた。「だから、まさみに記憶がなくても、大丈夫んだってば」」あたしのことは覚えてくれてるんでしょうと、そのS子は微笑んだ。こんな嫌な奴知らない、鼻や口からもダラダラと涙が流れた。
「あらあら、ダラダラじゃない。ごめん、そんなに困ってると思わなかったわ。大丈夫よ、落ち着いて、あんただけじゃないんだってば」とそのS子は言った。
まさみのダラッとたれた腕の袖口を、何かがひっぱっている。「ほら、羽田も、大丈夫だって言ってる」 「羽田?」袖口をくわえてひっぱりながら、白い犬が心配そうな顔でまさみを見ていた。
「羽田?」 「わん」 「羽田?」 「わんわん」 「羽田・・・」 「わん」 「S子」 「そうよ」 「羽田?」 「そうよ」 「犬」 「そうね」 「なんで?」 「なにが?」 「羽田・・・」 「わん?」