みる

昨夜はBlanclass+night  鈴木理策 熊野について を見て来た。
鈴木理策さんの写真はスゴい。「撮れそうな、撮れなさそうな写真を撮る人です。」と主催の小林晴夫さんが紹介されたが、本当にそうだ。
実際、鈴木理策さんの写真をまじまじと見てると、「どうやって撮ってるんだろう?こんなの、実は、絶対撮れないはずだろ?」と何回も思ったことがある。
自分の見てるものを、他人にそのまま見てるように見せるなんてことが、可能なんだと思うと少し気持ちが悪い。
だからか、鈴木理策さんの写真は随分と気持ちが悪い(あれ、良いのかな?)。
昨夜もパソコンからスライド形式でプロジェクションされてる景色を「きれいだな〜」とうっとり見ていたら、その帰り道、自分の眼のピントがおかしくなっていて、酔ってしまった。
きっと写真が、ちょっと、妙な時間で止まってるせいだろうと思う。おまけに、熊野は妙な気配と澄んだ空気のあるところだからなおさらかも知れない。
それから、鈴木理策さんの使っている印画紙が製造中止になるそうで、映像を撮ろうかなという話をされて、撮られる映像への期待も十分あるんだけど、それよりも、この人が「音」をどうするんだろうと思うとドキドキした。

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今日は、吉川陽一郎 ながめとまなざし -眺望/視 を見に仙川のPlaza Galleryへ。
この間、吉川さんにあった時「ものの見方を伝えるのは美術が一番いい方法なんだ」と真剣に言ってた。その「ものの見方」を投影する作品は、とても吉川さんらしいものだった。
小さい作品を見るための大きい装置がガコンガコン音をたてる。説明書きには「壊れたような音がします」とか「重いです」とか書かれていて、その通りに動かすと重いし壊れたような音がする。
きっと、無音でスムーズに動くようにだってできるのに、昔のエレベーターリフトのように不安を伴う。でも、同時に楽しい。それを動かして、レンズで見た小さい作品の細部や奥行きは、「うわー」って嬉しくなる。
もうひとつは、床の壁沿いに銀色のキノコみたいな作品が並んでるのを見るための「トイ・レーダー」(表微線探査)というもの。これも、“←回る→”とか文字が書かれていて、ノスタルジックな趣きをかもしながら、そこにある。それを操作しながら、見てると宇宙や深海で探査するとこんな風なんだろうかと思った。
とてもワクワクするものの見方。
視る。よく視る。
ということ。
(でも、やっぱり直後はちょっと酔います・・・。)