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 すごいな、いつの間にやら、ページビューが3000をカウントしてるわ〜。見てくださってる皆様、ホントありがとうございます。
  ちょいとワケアッテ「やまひこ7・2・7」をやる時間が取れないので、しばらくは、あんまり人に見せてない文章でもアップしようかと思ってます。んじゃ、手始めに、いかれた映像作家の文章を書こうとして、何だかワケの分からなくなったやつを・・・。

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「スローモーションの映画を撮りたいんだよ、全編、結局ね、僕は。」
スピードを追い求めた映像作家が最後に吐いたセリフだ。彼の映画はコラージュにコラージュを重ね、全編サブリミナル効果と言えそうな映像の中で、登場人物が走りまくり気違いのように喋りまくる。いったい何人分の何年分の物語を2時間の映画に盛り込めば気が済むんだ・・・と思わせた。そして、恐ろしいことに全く統一感が無いのだ。どんな映像にも観客はストーリーを組み立て、ある種の答えを出し評価をする。ストーリーを無くす為にはイメージを無くす外ない。イリュージョンを起こしてはならない。映像に置いてそんなことはありえない。人間がそんなものを作れるはずがない。何を見ているかさっぱり分からない、追いつけないのだ。人間の潜在能力は想像を超えているにも関わらず、彼の映画は視覚と思考を切り離し、脳の働きを阻止するのだ。観客は目を回し膨大な情報を処理できずに気を失うしかない。それでも彼の映画には足繁く通う固定客がいた。彼らの目的は気を失っている間に見る夢だ。彼らは繰り返し同じその夢を見ることになる。「視覚を過剰に摂取することにより、脳の中の記憶の引き出しが全て開くだけだ」と彼は言っていたが・・・。彼の映画は麻薬のようだと言われた。だが、そんな単純な話ではない。なぜなら、麻薬は人工的に手を加えてあるにしろ自然の化合物であることが殆どである。自然の・・・、つまりは人間の作ったものではないということだ。未知の物である。解明されていると思い込んでいるというのが正しい。もしくはある程度は解明されているといったことか・・・。なにしろ、自分のことすら思い込みで形成しているのではないか。もしくは、「分からないのです」という態度でいることが謙虚なのか? 麻薬は物理的に体内に摂取することで一時的に気を狂わす、ひどい場合は永遠に人間を壊してしまう。もし、同じような物だとすれば、視覚を「体内に取り入れる」という事になる。その摂取される「彼の映画が麻薬のようだ」と言えるのか・・・。彼は人間のはずであるし、映画は出来上がった時点で未知のものではないはずだ・・・。しかし、やはり、奴らは彼の言うように『視覚を摂取している』のだ。